こんにちは!のいです!
僕の両親は耳が聞こえません。
今回は、耳の聞こえない両親のもとに産まれた僕の話をさせていただきます。
同じような境遇で、誰にも相談できずに悩んでいるという方。
この記事が心の寄りどころになれば、とてもうれしいです。
耳が聞こえない両親
父
父は先天性の障害で、産まれた時から耳が聞こえません。
それと同時に、「先天性網膜色素変性症」という目の病気も持っています。
耳が聞こえないばかりでなく、目もあまり見えない。。。
母
母は先天的に耳が聞こえなかったわけではなく、もともとは健聴者として産まれました。
しかし産まれてすぐ40度近くの高熱が出て、その影響で耳が聞こえなくなったそうです。
そんな母ですが、目はとても良いです。
そのおかげで、耳が聞こえないにも関わらず今でも車を乗りまわしています。
またこれは両親ともにですが、綺麗な日本語を話すことはできません。
こんな両親のもとに、僕は産まれました。
三人兄弟
兄弟は三人います。上から兄、姉、僕です。
奇跡的に兄弟3人とも耳が聞こえます。
というか、夫婦とも耳が聞こえないのに三人も子どもを産んで育てたってすごいですよね(笑)
純粋に尊敬します!
兄とは5歳離れていて、姉とは1歳違いです。
僕が産まれた時にはすでに兄姉がいたため、両親が耳が聞こえないからといって不便は特にありませんでした。
僕はそういう環境でしたが、兄は産まれた時には耳が聞こえない両親しかいないわけで、しかも妹が産まれるまで4年も期間があります。
それまで家庭内に話す相手がいなかったっていうのは、それこそすごい環境ですよね。。。
CODA(コーダ)
ちなみに、僕たち兄弟のような人をCODA(コーダ)と呼びます。
コーダ(Coda,Children of Deaf Adults)とは、ろう者の親を持つ聴者のことである。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
コーダは、産まれた時から親を通して、ろう文化との関わりを持つ。また、音声言語よりも先に視覚言語-手話を身につけることが多い。この為、コーダが手話と音声言語のバイリンガルとなる率は高い。
CODAという言葉を知ったのは最近のことで、同じような環境で育った人が他にもたくさんいるんだと初めて認識しました。
またここでも書かれている通り、僕たち兄弟は産まれながらに言葉を話すと同時に手話にも触れています。
ただ末っ子の僕は、手話がそこまでできなくても兄弟に通訳してもらえればよかったので、本当に簡単な手話しかできませんでした。
大人になってから手話の勉強をして、今はある程度手話で会話できるようになりました。
この記事を書くにあたって
今回この記事を書こうと思ったのは、CODAと呼ばれる方が日本にはたくさんいることを知ったからです。
僕の経験を伝えることで、同じような環境に育つ人たちの気が少しでも楽になればと思っています。
今回はここまでにします。
今後、耳が聞こえない両親のもとに産まれた僕の経験をリアルに伝えていきますので、よろしくお願いします!
ではでは!!
息子の僕でも想像できない世界で生きています。